吉田松陰の名言「知行合一」とは?

高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文といえば幕末維新の有名人ですが
その精神的な指導者として彼らを覚醒させた?

吉田松陰の名言「知行合一」についてご存知ですか?

吉田松陰とは

全一冊 小説 吉田松陰 (集英社文庫)
全一冊 小説 吉田松陰 (集英社文庫)

吉田松陰

現在の山口県萩市出身の長州藩士。

1830年8月4日生まれ
1845年長沼流兵学を学び、翌年免許を受ける。
1851年佐久間象山に学ぶ
1853年(23歳)

浦賀沖にやってきたペリーの率いる黒船に、衝撃を受ける
そのご長崎にて、ロシア軍艦に密航を企てますが失敗。
ペリーが再来した時にもうまくいかず、松蔭は自首する。

この時に、読んだ句が

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

外国船に幕府に無断で乗り込むのは重罪とはわかっていても、そうせずには
いられない。外国の優れた文化を取り入れなければと日本のことを思ってのことだと

その後、死罪を運よくまのがれ謹慎処分となる。

1857年に叔父の松下村塾の名を引き継ぎ、松下村塾を開塾。
松下村塾(しょうかそんじゅく)です。

この塾では桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、久坂玄瑞と
幕末維新の名だたる人物たちを排出しています。

のちに、久坂玄瑞松蔭の妹文が嫁ぐこととなります。
そして、吉田松蔭の松下村塾に「知行合一」と掛け軸がありました。
松蔭は自分自身を「陽明学者」と自称していたそうです。

 

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「知行合一」とは

中国の明の時代の儒学者「王陽明」の陽明学の命題の1つです。
陽明学では、理を重視する朱子学を批判して実践行動を重用視していました。
知と行を切り離して考えるべきでなく

知は行の始なり、行は知の成るなり

知識をつけることは行動することの始まりであり、行動することはつけた知識を完成させることである。
また、知っていても行動しない事は知らないと同じで、行動して初めて生きた知恵となる。

 

その後、松蔭は

1858年、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒。
倒幕思想が危険と判断され、井伊直弼の安政の大獄で

1859年に斬刑に処された。享年29歳
資料によると、教育者でもあると同時に強いカリスマ性を秘めている方で
あったと思われます。

西洋の黒船によって自分たちの住む大地が犯される危機感を抱き、行動に移した。
周りから見れば、かなり変わった人物に見えていたかも知れません。
 
しかし、日本に対する熱い想いが多くの若い志士たちを覚醒させたと思われます。

極めて短い間の在籍だった松下村塾生の山縣有朋(第3代内閣総理大臣)が
生涯「松陰先生門下生」と称し続けたあたりに感じ取れます。


 
 

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