吉田松陰の名言「かくすれば かくなるものと知りながら~ 大和魂」の意味とは

幕末というと、どうしても坂本龍馬や西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文などの有名な人物を思い浮かべるのではないのでしょうか?

しかし、名だたる志士からも尊敬された吉田松陰をご存じでしょうか?
近年はNHKの大河ドラマの「花燃ゆ」で吉田松陰が大きくスポットライトがあたりました。

物語の主人公は吉田松蔭の妹のをでしたが、松陰の考え方や生き様も詳しく描かれた作品でした。

その物語のなかで、生きざまを現す名言は松陰の苦悩や想いがよく伝わってきます。
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獄中の出会いが生んだ吉田松陰の思想

 
さて、今回は幕末の長州の精神的な指導者と呼ばれる松蔭の名言について

かくすれば かく なると知りながら  やむにやまれぬ  大和魂

意味としては
こうすれば、こうなるとはわかっていながらもやらずにいられないのが、日本人としての魂だからだ。

というところでしょうか。
もともと兵学の心得があった吉田松陰。

隣の大国清がアヘン戦争で西洋に植民地ように
支配されたことを知って、初めて西洋の進んだ黒船を視察すると
西洋の進んだ技術に心を打たれそうです。

 

密航に失敗で長州へ

 

敵を知らなけければ、日本を守ることができない。
隣の清国のようになってしまう。

そこで、その技術を学ぼうとした吉田松陰

長崎に寄航していたロシア軍艦に乗り込もうとしますが失敗。

さらに、ペリーが日米和親条約で再航した時に、
伊豆下田港に行き乗船しようとするがまたも失敗におわる。

幕府にも、乗り捨てた小舟からばれるだろうと自ら取調べを受けに。

奇跡的に命は助かったものの長州へ、獄中で密航の動機とその思想的背景を『幽囚録』に記録しました。

当時の江戸時代で、外国の船に乗り込むことは重罪だとわかっていても、禁を破ってもやらずにはいられなかった吉田松陰

ちなみに長州で謹慎中は、松陰の叔父が始めた私塾の松下村塾(しょうかそんじゅく)で指導することになる。
その塾は、身分の分け隔てなく、多くの塾生が集まったそうです。

松陰の教え方は評判がよく、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などの塾生も国の未来を語り合ったそうです。
この塾での指導は数年だけで幕府に危険人物として、再度とらわれるのでした。

 

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日本を思う気持ち

「かくなるものと知りながら」

「やむにやまれぬ 大和魂」

この句は獄中で詠まれたものですが、松陰はさぞ無念だったともいます。

異国の優れた技術の前に日本の遅れた技術力では対抗できないのは明白。

そのことがわかっていた松陰にとっては、密航することが死罪になるとわかってる。
でも、この技術力を持たないとアヘン戦争後の清のように日本も奴隷のようになってしまう危機感。

しかし、太平の世の中の感覚が抜けない幕府や民衆には松陰は危険人物としか映らなかったようです。

ただ、この熱い日本にたいする想いは、松下村塾で学んだ高杉晋作や久坂玄瑞などの長州の志士達に受け継がれていったと思われます。

そして、その想いを受けた志士たちが明治時代の扉を開いたのだと言われています。
自らの行動で日本を守ろうとした松陰は、教育者としても愛国者としても評価されているようです。

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