吉田松陰の名言「至誠にして動かざる者は~」の意味とは?

さて、初めてこの言葉を聴いたのはNHKの「八重の桜」という大河ドラマでした。
 
日本を守るために、立ち上がれと志士達を鼓舞しているようで松陰の熱い想いが伝わってきたんです。

詳しく情況解説すると

 

名言がでる前の情況説明

幕末に、黒船が来航して開国をせまるのに兵学者として、西洋の文化にかなわないのをさとりなんとか、西洋の文化を学ぼうと密航を企てるが失敗する吉田松陰。

その後、故郷の長州でかの有名な松下村塾を開くことになるのですがわずか2年ほどだった。

それは、幕府が外国との条約、修好通商条約を結んでしまったことにあった。
もともと、攘夷思想の強かった松陰

言霊蒔絵シール「吉田松陰」ゴールド
言霊蒔絵シール「吉田松陰」ゴールド

1858年に幕府が、外国の脅しに負け開国をした事に激怒
老中の暗殺計画をするが、その計画が漏れて危険な人物として捕らえられる。
これがいわゆる安政の大獄である。
 
他にも多くの者が捕らわれたのだが松陰は
江戸に送られ、伝馬町の獄へ

獄中にて「留魂録」という遺書を
書き上げた翌朝に、いよいよ
吉田松陰の斬首の申し渡される。

 

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至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり

 

私がたとえ処刑されても

後に残った者達がきっと奮い立つ。

この国を守るために!
幕府も藩もいらん!
身一つで立ち上がればよい。

という松陰。さらに死を前に叫ぶ

至誠にして動かざるものは
未だこれあらざるなり。

まことを、つくせば
動かせないものなどなにもないのだ

と力強く叫んだという。
そして、頭を下げた松陰は斬首となった。
享年30(NHKの大河ドラマ「八重の桜」より)

この時に弟子達に残された辞世(じせい)の句

身はたとえ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂
といわれる。

ちなみに辞世の句とは
この世を去る時に詠む短型詩のことを言う

由来はさだかではないが、特に中世以降の日本において
大流行し、文人の末期や切腹の際には欠かせないものだったそうだ。
さて、命を懸けて、誠を尽くした。

 
日本を守るために、その生き様があったからこそ
この言葉が、100年以上のちの
現代にも伝えられたのではないでしょうか。


 

「至誠にして動かざる者~」の意味

ちなみに、この言葉は孟子という中国の思想家の言葉だとか。

中国の春秋戦国時代(紀元前300年頃)
諸子百家という学者や学派の中では儒教で孔子の次に
孟子は重要な人物といわれている。

 

至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり。
誠ならずして未だ能(よ)く動かす者はあらざるなり

意味
どんなことでも、誠心誠意つくせば必ず動かすことが出来る。
しかし、不誠実に物事にあたれば何ものをも動かすことは決してできない。

 

幼い頃より四書五経を、学んでいたのでこのような
名言が出てきたのでしょうか?

吉田松陰には
教育者というよりも、革命家のような熱さを感じました。

 

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