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[企業解説]フジテレビの歴史:②クーデターと日枝久の台頭「フジテレビの支配権を巡る激動の戦い」

ビジネス

フジテレビの歴史の中で、最も大きな転換点の一つが、鹿内宏明(しかない ひろあき)と日枝久(ひえだ ひさし)の対立によるクーデターでした。
ここでは、クーデターが起こった背景、日枝久がどのように権力を握ったのか、そしてその後のフジテレビに与えた影響を詳しく解説します。

クーデターの背景:フジテレビの経営権争い

フジテレビはもともと、鹿内家(しかないけ)が支配する「オーナー企業」でした。
しかし、1990年に当時の社長 鹿内春雄 が急死し、その翌年には 父・鹿内信隆 も亡くなります。
これにより、フジテレビは創業家の支配を失い、後継者問題に直面することになりました。

鹿内宏明(ひろあき)の登場
鹿内家は、鹿内信隆の娘婿である 鹿内宏明 を後継者に指名します。
彼は元・日本興業銀行(現在の三菱UFJ銀行の前身)のエリート銀行マンで、フジテレビの経営改革を進めるために迎えられました。

しかし、鹿内宏明には大きな問題がありました。
彼は「フジテレビの伝統を知らない外部の人間」であり、銀行的な経営手法を取り入れようとしました。
これがフジテレビ内部の幹部たちの強い反発を招きます。

テレビ局の文化と合わない改革
彼は、コストカットや経営効率化を重視しましたが、これまで自由な発想で番組を作ってきた社員たちから反発を受けました。
求心力の低さ
フジテレビの持株比率は鹿内家が約20%しか持っておらず、圧倒的な支配力がありませんでした。
日枝久との対立
かつて鹿内春雄の側近だった 日枝久 は、フジテレビ内部で強い影響力を持っていました。
彼は「鹿内家の支配からの脱却」を狙っており、鹿内宏明を追い出そうと画策していました。
この状況の中、日枝久は慎重に**クーデター(経営権奪取)**の計画を進めていきました。

クーデターの実行:鹿内家の追放

クーデターは 1997年 に起こりました。
このとき、日枝久は フジサンケイグループ 内の権力構造を利用して、鹿内宏明を排除する計画を実行します。

クーデター:産経新聞の取締役会で解任動議を提出

フジサンケイグループの中核である 産経新聞の取締役会 で、鹿内宏明の「解任動議」が提出されました。
産経新聞の支配権を持つ取締役たちは、すでに日枝久に従っており、鹿内宏明を解任することを決定。
これにより、鹿内宏明はグループ内の影響力を失いました。

ニッポン放送とフジテレビでも解任

産経新聞の支配権を失ったことで、鹿内宏明は フジテレビとニッポン放送の取締役会でも解任される ことになります。
フジサンケイグループ全体を支配していた鹿内家は、この瞬間に完全に追放されました。
日枝久が新たなリーダーに

クーデターを成功させた日枝久は、フジテレビの新たな会長に就任 し、実権を握ることになりました。
こうして、フジテレビは創業家である鹿内家の支配から離れ、日枝体制へと移行しました。

日枝久の支配とフジテレビの変化

クーデター後、日枝久はフジテレビの実権を握り、長期間にわたってトップに君臨しました。
彼のリーダーシップの下で、フジテレビは以下のような変化を遂げました。

① フジテレビの経営体制の変化

鹿内家の影響を完全排除
鹿内家が持っていたフジサンケイグループ内の支配権を完全に無効化。

日枝久が「絶対的な支配者」に
フジテレビは、創業家ではなく「日枝体制」のもとで動く企業へと変わりました。

② 番組制作の変化

1990年代後半から2000年代初頭にかけて、フジテレビは依然として強い視聴率を誇っていました。
しかし、日枝体制の長期化とともに 新しい企画力の低下 や 番組のマンネリ化 が指摘されるようになりました。

③ 経営危機と「ライブドア事件」

2000年代になると、フジテレビは経営的に不安定になり、「村上ファンド」や「ライブドア」などの投資家から買収のターゲットにされました。
2005年、ホリエモン(堀江貴文)率いるライブドアが ニッポン放送の株を買収 し、フジテレビを支配しようとする「ライブドア事件」が発生します。
これに対抗し、フジテレビは大規模な株の買い戻しを行うなど、経営が大きく揺らぎました。

クーデター後のフジテレビの衰退

日枝久が権力を握った後、フジテレビはしばらくの間、テレビ業界のトップに君臨していました。
しかし、2000年代後半から 急激に視聴率が低下 し、かつての勢いを失っていきます。

ドラマ・バラエティの低迷

「月9ドラマ」などのヒット作が減り、視聴者が離れていった。

インターネット時代への対応の遅れ

YouTubeやNetflixなどのストリーミングサービスが台頭し、テレビの影響力が弱まった。

組織の硬直化

日枝久の長期支配による「トップダウン体制」が続き、新しいアイデアが生まれにくくなった。
こうして、フジテレビは一時の絶頂期を終え、視聴率低迷と経営不振に苦しむ時代へと突入していきました。

まとめ

鹿内宏明が経営者に就任するも、社内の反発を受ける。
日枝久がクーデターを実行し、鹿内家を完全に追放。
日枝体制が確立し、フジテレビは創業家支配から独立。
しかし、長期支配が続き、視聴率や経営が低迷。
2000年代の「ライブドア事件」などでフジテレビの経営は大きく揺らぐ。
このクーデターは、フジテレビの歴史を大きく変え、現在の苦境の原因の一つになったとも言われています。

メディアの支配者

この本は、鹿内信隆という人物がニッポン放送や産経新聞フジテレビを手中にして一大メディアグループを形成し、その後継者である娘婿の鹿内弘明が日枝久にクーデターで追放されるまでを中心に描かれている。エピローグとして2005年のライブドアによるニッポン放送買収騒動に触れて終わっている。ノンフィクションのフジサンケイグループの内幕を赤裸々に暴いた本

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